2003年頃、愛知県と奈良県在住のメンバーを中心として前身となるチームが発足、2005年にチーム名を「YELLOW SUNS」と改名し、本格的にCREWとしての活動をスタートする。

結成当時、日本における「ブレイクダンス界」では、ユニット活動や引き抜きなど、CREWとしての『あり方』がまだ定着していなかったにも関わらず、YELLOW SUNSは早くから"BBOY CREW"としての定義を表現することで、自分たちの姿を等身大で見せることが出来た。
もちろん、一際目立つその存在感には独特でありながらも何故か懐っこい「踊り」という揺るがない裏付けがあり、アンダーグラウンドシーンの中でその名前は急速に広がることとなる。

その独特な踊りは、基本的でありながらも、なめらかで美しい。バトル等での大会で、ビッグなタイトルを総なめすることはなかったが、それでも世界的な評価は高く、今に至る。

結成3年目からは、当時の日本のBBOYシーンでは珍しい"BLOCK PARTY"形式のAnniversaryを開催。完全無料で行ってきたそのパーティーは、無名の場所に300人以上の人が詰めかけるほど、大きな噂を呼んだ。深夜の公園やスケートボードパークにゲストパフォーマンスとして、ゲストダンサーやJAZZバンド、他ジャンルなDJが待ち受ける。それ以外にも、公園に広げた畳の上でのダンスバトル・巨大なパネルやワゴン車を設置して行われたライブペイントなど、クリエイティブで伝説的な瞬間を数々作り上げてきた。

2012年頃からはオリジナルメンバーでの活動が収縮し、それに伴いCREWとしての活動が減るが、2015年頃から愛知県の若きメンバーを中心に再度CREWとしての骨が組み上がる。現在は、ダンスバトルでの活動は勿論の事、審査員やゲストパフォーマンス・メディア出演など、様々な活動を行う。また、愛知県・奈良県の老舗CREWとして地域との密接な活動も続けており、次世代育成のためのプログラム・地域文化活性のための交流・興行などを行っている。

また、メンバーそれぞれはHip Hop DancerやGraffiti Artist、DJ、Photographerなど、一つのカルチャーに収まることなく今なお活動を広げており、「YELLOW SUNS」としてのクリエイティブはまだまだ続いていく。